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一燈照隅-06

一燈照隅
06
著者
ランタン次郎

● 一燈照隅-06

10月「フィルターバブル」

2022.10.06


 

もう20年くらい前の話になるが、市民派弁護士として数々の有名な事件の被害者救済や破産管財人としても活躍された元日弁連会長の中坊公平氏の講演を聞く機会があった。
確か日本の経済社会のあるべき姿についてだったと思うが、その講演の本旨より、最近の若者は何でも「キレる」「キレた」とか言って年寄りを脅かす。怒ると言う日本語には他にもその程度や周囲の空気によって「憤る」や「激怒する」とか、沢山の言葉があるのに全て「キレる」など一言で終わらせている若者が増えている。情緒というか心の豊かさというものが、それを表す日本語と一緒に失われていくような気がする、というような話のところを今も覚えている。

このような若い人達に特徴的な会話は1990年代から目立つようになったが、この話し言葉の省略化については小生もやはり気になっている。言葉は思考するための道具であって、人は頭の中で一旦文章化してから発言したり行動したりするらしい。そういう意味で日本語の語彙の豊富さは、日常の営みや他人との関係性を微妙に考えさせ、調整してくれる。その豊富で優れた言葉たちを使わず、思考も痩せて貧弱になっていき、他人に思考を頼ることになるとしたら大いに悲しむべきことだ。

安倍総理の国葬のニュースは大きくその賛否を取り上げていたが、小生がその中で気になったのが、国葬に反対する日本武道館周辺に集まったデモの参加者数だった。学生時代に三里塚に行った小生の経験では、当時のデモ隊の数は警察側発表と主催者側発表があって、実際はその中間あたりが正解に近い数字と決まっていた。どちらもサバを読んでいた。
ところが今回は会場周辺に集まった群衆の数を〝野鳥を観察する会〟も数えたと言う、極めて信憑性の高そうな数字がネットニュースに流れた。小生はすっかり信じてしまった。しかし後にフェイクだと知らされる。オーマイガー!これから自分で思考することがとても大事だと言っていながらこれである。

「フィルターバブル」という言葉がある。ネット上でアルゴリズムがその個人の関心事を分析して学習することで、本人の意思とは関係なく勝手に見たい情報、好む情報が優先的に表示される情報環境のことだ。こうなるとまさに泡の中に取り込まれて孤立する状態になってしまうらしい。それに加えてさらに「エコーチェンバー」と言う似た者同士が小部屋で声を響かせ合うこれまた厄介なものまで生まれている。

AIが進化しDXが担うところは、定まった手順とデータを計算して機械的な作業を効率化することだ。かたや人間の力は多様な言語を使って意見を交わし、無から有さえ考える出せるところにある。デジタルなんかに私達の能力を衰えさせてはいけない。
「Don’t think. FEEL!」はブルース・リーの「燃えよドラゴン」の中でのセリフであり、トム・クルーズは「Don't think. Just do.」と最近の映画の中で言っている。あれこれ考えないで直ぐに行動することは何となくカッコいい。でもそれは生死を賭けた戦いの時には必要な習慣だろうけど、私たちの日常では両方をしっかり使えないといといけない。

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